たまプラーザ南口胃腸内科クリニック

平島徹朗 院長 私のダイエット遍歴と巷に溢れるダイエット法の是非。色々と自分の体でも試してみました。

DIET ITINERANT ダイエット遍歴編

人間の3大欲求のひとつである「食欲」は、なんでも手に入る飽食のこの現代ではどうしても抑えることが難しく、ついつい食べ過ぎてしまい、年齢と共に徐々に徐々に太っていく経験を誰しもがしてきたと思います。特に、炭水化物に関してはスーパーやコンビニ、外食店を中心に街中にいたるところに溢れていますし、食事を安く済ませようと思うとおにぎりや麺類などの炭水化物中心のメニューとなってしまい、ランチなどを外食で済ませようと思うとご飯大盛りの定食かラーメン、うどん、そば、パスタなどの麺類中心となってしまうのは、低糖質を意識しない限りこの世の中では避けることの出来ない仕方のないことだと思います。
ダイエットには「人の数だけダイエット法がある」と言われているぐらい多くの手法があります。以前はカロリー制限が主流で、食事を低カロリーの飲み物などに置き換える「置き換えダイエット」が流行った時期もありました。
それから、何か1種類のものをずっと食べ続ける「リンゴ、バナナ、納豆ダイエット」なども流行し、テレビで特集を組むと放送翌日からスーパーでその食品が品切れになる事も頻繁にありました。
深夜のテレビショッピングなどでお馴染みだった「お腹に振動するベルトを60分間巻くだけで腹筋200回の効果!」などと謳ったEMSベルト「スレンダー○○」などなどもありました。
巷に溢れるダイエット方法の多くは基本的には摂取カロリーを減らして体脂肪を落とし、それにともなって必然的に筋肉量も減ってしまうため、ダイエット後のリバウンドが必須のものとなってしまいますが、手を変え、品を変え本当に多くのダイエット手法が出ては消えての繰り返しだと実感します(ほとんどが一時的なダイエット効果ですが。。。)。

高校生時代

中学・高校時代はサッカー部に所属(キャプテン翼世代で、影響受けてサッカー始めました)していたこともあり、いくら食べても激しい運動のお陰で全く太るどころか、逆にちょっと食事量が減ると体重が60キロをきってしまう程でした(ベスト体重61キロ)。部活の道具置き場に簡易な筋トレ器具があり、高校1年生ぐらいの時期から筋トレすると良い肉体になるのを実感し、対戦相手に負けない強靱なフィジカルが培われるということを体感し、筋トレに目覚め始めたのを覚えています。

高校時代の寮生活での食事はおかずが少なかったため、漬け物や味噌汁で白ご飯を2~3杯食べるような生活でしたが、部活での激しい運動のため太るどころか体重減少に苦労していました。高校時代は学ランの丈の短い「短ラン」やブカブカのズボン「ボンタン」が流行った時代でした。左の写真は、寮の部屋で休み時間にみんなで学ランを交替で着て、「丈の短さ」、「ズボンのブカブカ具合」を競い合っていた、今考えるとなんとも懐かしい時代でした。鉄柵の小さなベットと簡易な机のみの小さな部屋の中で、2~4人で過ごす楽しい楽しい共同生活でした。

10代

大学生時代

大学に入学したころから、今までに経験したことのない程自由な生活となり(中学、高校、浪人時代は寮に入っていましたので、門限18時で、学習時間も決められて、食事も3食ともに寮の食事を食べていました。その縛られた生活から解放された反動で、大学生活は人間とは思えない程かなりだらけた、そして堕落した生活を送ってしまうこととなりました)、飲み会後の深夜の博多長浜ラーメンは必須の事となり、昼間の水分摂取はコーラやスプライトが当たり前(糖質がこんなに含まれているとは、当時は全く知るよしもなく砂糖水を飲みまくっていました)で、徐々に徐々に太っていくこととなりました(まだ若いので基礎代謝が高いため本当に徐々にですが、体型変わってきました)。22歳の時に、あるとき写真に写った自分の姿を見て、「これはマズイ」と思ったのと、好きな女の子ができたのをきっかけにダイエットを決意しました。22歳の春でした。
その当時は糖質制限の概念などなく、ひたすらカロリーを制限するダイエットが主流で、私はマイクロダイエットという1日1~2食の食事を1食170キロカロリーのダイエット飲料に置き換えるという当時流行っていたダイエット法にチャレンジしました(1食あたりのダイエット飲料の値段が約1300円であり、本当に高い。。。)。運動は軽くランニングを週に2,3回やる程度で、あとはひたすらカロリー制限を何の知識もなく行っていました。その結果、体重は太りに太った75キロから55キロまで20キロ減と以前のズボンが全てブカブカになるぐらいになりましたが、筋トレなどはしていなかったため、なんとも貧弱な体つきになってしまいましたが(右写真)、当時は体重が落ちたことだけで満足だった記憶があります(好きになった女の子は結局振り向いてはくれませんでしたが。。。)。20キロも頑張って痩せたのに、何となく切ない22歳の夏でした。

カロリー制限だけで筋トレなどをきちんと行なわなかった結果、体脂肪と共に筋肉も一緒に落ちてしまい、なんとも貧弱な体となってしまいましたが、体重が落ちたことだけに満足していました。食事制限だけのダイエットでは、体の代謝量が急激に低下してしまい逆に「太りやすい体」になってしまいます。代謝が急激に落ちた体では、ダイエット後に食事量を元に戻すと急激に太りやすくなってしまいます。

20代

社会人時代

社会人になってからは、仕事が急激に忙しくなり(大学生時代の怠惰な生活とは一変して、社会人になったとたん人間ってこうも変われるのかと思うぐらい仕事・勉強に励むようになり、診療と内視鏡検査に没頭していました)、夜間当直などでほとんど自宅に帰れない状況が続いていました。当直中に、忙しい事や疲れた事を言い訳にして、スナック菓子や甘い物をご褒美と称して夜中の急患で呼ばれた途中にバクバク食べていた時期もありました。太ってはカロリー制限とジムでの筋トレを行う自己流のダイエットを行い、痩せるということを繰り返していました(25歳〜35歳ぐらいまで)。

31歳頃の写真です。基礎代謝が落ち始める時期ですが、お腹周りを中心に徐々に体脂肪がつき始めてきました。写真でも腰にくびれがなくなり始めており、寸胴体型の始まりです。

31歳

35歳頃の写真です。
筋トレが基本的には好きなので、忙しい仕事の合間をぬってなんとか週に2回ぐらいジムで筋トレしていました(筋トレのお陰で大胸筋はなんとか維持できています)が、基礎代謝が益々落ちる時期でもあり、お腹周りを中心に体脂肪がドンドンつき始めています。

食事は夜遅く食べていましたが、炭水化物は抜いていました。写真を見ても、お腹周りの脂肪がベルトに乗るようになってきています。

35歳

37歳頃の写真です。
あまりに仕事が忙しくなり、ほとんど運動できない時期でした。ストレス解消を食べることに逃げてしまい、お腹周りを中心にどんどんどんどん内臓脂肪が増えてしまいました。

ここで歯止めをきかさないと本当にマズイと思い、この時期から本格的に糖質制限と筋トレを組み合わせてダイエットに取り組んでいきました。

自分なりに医学書や糖質制限本、筋トレ法の本などで勉強し、自分を実験台に取り組みを始めていきました。
人生で一番太っていた時期であり、体型的にも一番ダメな時期でした。

37歳

40歳前頃の写真です。
洋服を着ていれば目立たない程度の体型でしたが、裸になった時の寸胴体型が嫌になり、肉体改造をしようと決心した時期です。

糖質制限法を自分なりにマスターしていましたので、徹底した糖質制限と週2回のジムでの筋トレを開始しました。食事は基本的に3食共に糖質量1食20グラム以下に設定し、まず1ヶ月は体重を落とすことを目標に、筋肉量を落とさないように筋トレも並行してきちんと週に2回行っていきました。

40歳

糖質制限&筋トレ開始後1ヶ月目の写真です。とにかく体脂肪を落とすことを目標に糖質制限をかなり厳しく行った1ヶ月でした。
お腹周りの脂肪がかなりスッキリと取れてきました。ラスト1ヶ月は筋肉量を上げるべくタンパク質摂取を多めに筋トレの負荷を強くしていきました。

糖質制限は変わらず1食あたり20グラム以下の糖質量で継続していきました。糖質制限ではお肉やお魚、野菜を中心にかなりの量を取ることができるので、カロリー制限のように貧そな食事にはならず食事での満足感はかなり得られます。

 

40歳 開始1ヶ月

糖質制限&筋トレ開始後2ヶ月目の写真です。お腹周りはかなりスッキリとしてきて、うっすら腹筋が見えるようになってきました。
プロテインなどの摂取で1日のタンパク質量も十分に摂取して、筋トレに励みましたので、大胸筋も開始直後よりもだいぶ発達してきました。
食事を減らしただけのダイエットでは筋肉も一緒に落ちてしまうので、タンパク質摂取をきちんと行いながら、筋トレをみっちりするのが良い肉体を作りながらのダイエットには最適だと実感しました。

 

40歳 開始2ヶ月

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